全国の瀬戸さんお待ちしております

瀬戸の語源は「狭(せ)門(と)」で、相対する陸地が接近して、狭くなっている所を示すそうです。
瀬戸内海や愛知県の瀬戸市は有名ですが、苗字との因果関係は薄いようです。
長野県佐久市瀬戸付近を、派生の地とされていますが、全国には川の流域に瀬戸の地名を多く見かけます。
狭(せ)門(と)の語源を先に検証する必要性もありかなと???思いつつペンを進めます。
何か情報がありましたら、書き込んでください。お待ちしております。

2012年11月6日火曜日

住職の奥さんの呼び方

私の知る限りでは、「お寺の奥様」とよ呼ばれていました。
お庫裏さんの仕事を滞りなくこなしながら、3男2女5人の子供を育てられ、さらに臨時の保育所の運営や料理教室(指導会)等も率先して開催されていました。
前職は教育者と聞かされていました。地域に根を張った指導者にふさわしい「お寺の奥様」でした。

当時の農家は、田植え・除草・収穫・脱穀・その殆どを人間の手に頼る作業ばかりでしたので、主婦も当然重要な労働力でした。
その主婦に料理講習会など当時(昭和35年頃)としては、画期的な発想だったと思います。

仕事に追われる毎日で、見失っていた家庭生活の改善を目指した「お寺の奥様」は、地域のリーダーでした。
朝かまどで炊いた釜のご飯と、味噌汁と漬物を、晩まで食べる食生活はおかげで改善されていきました。

母が講習会に参加した日は、美味しい料理がお膳(当時はテーブルは無く一人に一個のお膳)に並んでいました。
トンカツであったり、天ぷらであったり(揚げ物がおおかったように記憶しています)しました。おやつのドーナッツもこの頃初めて口にしました。
これらの料理を作るには、火力の強いコンロが必要です。この料理講習会を契機に、我が家にもプロパンガスもは入ってきました。

ドーナッツの型抜きに、湯呑み茶碗の口と底を使って手伝ったことを思い出します。一生懸命手伝って、いざ食べる頃には油に酔って、食べられませんでした。(途中で試食したことも災いして)

そんな母も今年で13回忌を迎え、法要には多くの親類縁者様からお参りをいただきました。

ご先祖様がおられて、私たちが生かさせていただいております。

仏事に疎い私の強い見方は「お寺の奥様」です。
どうかお導き下さい。

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