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この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 2.5 一般 ライセンスの下に提供されています。
1979年から始まりフランスの首都・パリをスタート→バルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都・ダカールまでのおよそ12000kmを走ることで知られていた世界一過酷な国際ラリーでも、通過地点に含まれていましたが、治安の悪化二より、2009年からは南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレス →チリを回る周回コースに変更されました。2012年からはペルーを加えた3カ国を通るルートとなった。1981年より国際自動車連盟(FIA)と国際モーターサイクリズム連盟(FIM)の公認レースとなっています。
アルジェリアもそのコースに入っていたこともありました。
治安の悪化で1982年の大会では、競技者として参加していたイギリス首相(当時)マーガレット・サッチャーの息子のマーク・サッチャーが競技中に一時行方不明となり大騒ぎとなったこともありました。
国民の憧れだった自家用車の売り込みに国内各社も加熱していました。
とくに日産自動車のサファリ・ブラウンのブルーバードSSS(スリーエス)はテレビコマーシャルでもパリダカの映像を使って、性能の優秀性を伝えていました。
その頃ダカールがどこにあるのか全く知りませんでいした。
そして、エト邦枝氏の「カスバの女」がジュークボックスから流れ始めました。元来1955年(昭和30年)の作品ですが、ヒットは無く1967年(昭和42年)の多くの歌手がカヴァーして著名な作品となりました。
カスバの女 ちあきなおみ
エト邦枝 カスバの女 1976
「カスバの女」
大高ひさお作詞・久我山明作曲・エト邦枝 歌/昭和30年
- 涙じゃないのよ 浮気な雨に
ちょっぴりこの頬(ほほ) 濡らしただけさ
ここは地の果て アルジェリヤ
どうせカスバの 夜に咲く
酒場の女の うす情け - 唄ってあげましょ 女(わたし)でよけりゃ
セイヌのたそがれ 瞼(まぶた)の都
花はマロニエ シャンゼリゼ
赤い風車の 踊り子の
今更(いまさら)かえらぬ 身の上を - 貴方も女(わたし)も 買われた命
恋してみたとて 一夜の火花
明日はチュニスか モロッコか
泣いて手をふる うしろ影
外人部隊の 白い服
定住を望まず傭兵・コマンドとしての兵士が、一時の休息で立ち寄った酒場で出会った売春婦との、断ち切りがた未練ともとれる表現が、団塊の世代には何とも表現しようのない哀愁を感じる曲です。
汗と埃にまみれた一日の仕事から解放された、途中立ち寄った赤のれんの店で口にする【コップ酒】の味は、高級ブランデーでは味わうことのできない、五臓六腑に沁みわたる極上の美味さでした。
その後日本は世界屈指の経済大国に成長を遂げましたが、地中海・アラブ地域はいまだに戦闘に明け暮れる日々が続いています。
一日も早く戦闘の無い平和な時間の訪れることを願って止みません。
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